見守ること

 

      先日、ひと月ぶりに息子のところへいってきました。

      村には大きな吊り橋があり、

      そこから息子たちの通う小学校が見えました。

      ほんとうに山のなかにあるんだなぁ。

 

      毎月、こどもたちの学園から通信が届きます。

      そこにあった素敵なことばを、ご紹介します。

 

鳥のひなが卵からかえるとき、殻の内側から小さなくちばしで何度も何度もつついて時間をかけて少しずつ割っていきます。親鳥は外側から優しくつついて誘導していくけれど、決して親鳥が割ってしまったりはしません。ひなが自力で割って出てくることこそが『これから生きていくちから』を獲得していく大事な初めの一歩だから、それをじっと見守っています。

親鳥には「必要以上に余計なことはしない」ということがはっきりと本能に刷り込まれているのです。

ひとは色々なことを知っていて、感情も豊かで、心も弱いから、まだ、か弱くて小さなひなにはついつい手を貸したくなってしまいます。

自然界において「出してもらった」のと、「自力で出た」では大きく意味合いが異なってくるのに外から手を出し過ぎて自力をさえぎってしまいがち。

ひとと鳥、動物とは違うのかも知れませんが、ある部分においては子供たちの「自分のちからで」を尊重し、大人は見守らねばならないことも多くあると感じます。「誘導のつづき」程度にとどめておくことが....。

 

 

(こどもたちの暮らす学園長さんのメッセージから)